金は本当に安全なの?今買うと暴落しそうで怖い…
長期的に上昇トレンドにある金も、歴史を振り返れば厳しい下落局面がありました。最近の価格高騰を見て不安を感じている方も多いはずです。
投資において最も恐ろしいのは、過去の失敗を知らずに同じ罠にハマることです。この記事では、1980年の大暴落から現代に至るまでの転換点を、FRBや世界ゴールドカウンシル(WGC)の信頼できるデータを基に徹底解説します。
この記事でわかること
- 金価格が歴史的に経験した主な暴落事例
- 【最重要】1980年の歴史的暴落はなぜ起きたのか?
- 「有事の金」神話を終わらせた「ボルカー・ショック」の衝撃
- 1990年代の長期低迷と、底入れのきっかけとなった「ワシントン協定」
- 歴史から読み解く暴落の前兆と、長期投資家が持つべき心構え


金は本当に安全資産?歴史が示す3つの暴落(ドローダウン)事例
金価格って、ずっと右肩上がりのイメージがあるけど、本当に暴落したことなんてあるんですか?
ええ、実はあるんです。「安全資産」という言葉のイメージとは裏腹に、金は過去に何度も大きな価格下落、専門用語で言うところの「ドローダウン」を経験しているんですよ。
金投資を考える上で、その輝かしい上昇の歴史だけでなく、厳しい下落の歴史も知っておくことは極めて重要です。ここでは、金価格が経験した主要な3つの暴落事例を見ていきましょう。
そもそも「ドローダウン」とは?
【用語解説】ドローダウン
投資の世界で「ドローダウン」とは、ある期間における資産価格の最高値から、その後の最安値までの下落率のことです。資産が抱える潜在的な下落リスクの大きさを示します (出典: lazyportfolioetf.com)。
暴落事例1:1980年〜2000年「失われた20年」
1980年1月の歴史的最高値の後、金価格は長期にわたる低迷期に入ります。分析によっては、1980年ピークからその後のボトムまで、名目ベースで約50〜60%程度、インフレ調整後の実質ベースでは70〜80%前後のドローダウンに達したとされ、金投資家にとってまさに長期の低迷期となりました(出典: veracash.com)**。
暴落事例2:2011年〜2015年「量的緩和縮小ショック」
2011年9月に当時の史上最高値を付けた後も、金は安泰ではありませんでした。FRBによる量的緩和の縮小観測などを背景に、2015年の底値まで約45%の下落を記録しました(出典: auronum.co.uk)。
暴落事例3:危機発生時の「瞬間最大風速」
リーマンショック(2008年)やコロナショック(2020年)のような金融危機の際も、金は「有事の金」としてすぐに上昇したわけではありません。危機発生直後の現金化パニックの中では、他の資産と共に売られ、短期間で10〜30%ほど急落する場面が見られました。
【主な暴落事例のポイント】
- 1980年〜: 史上最大級の長期低迷。実質価格で80%以上の下落。
- 2011年〜: 約4年で45%近い下落。金融政策の転換が引き金に。
- 金融危機直後: 「安全資産」の金でさえ、一時的なパニック売りで急落する。
これらの歴史を分析すると、「金だから絶対に安全」という神話は存在しないことがわかります。特に、一度高値で掴んでしまうと、価格が回復するまでに数十年単位の時間を要する可能性があることは、金投資の最も重要なリスクとして認識しておくべきでしょう。
【チャートで見る】1980年の歴史的最高値と、その後の大暴落
1980年の暴落が一番すごいってことですね。一体何があったんですか?
はい、1980年の相場は、現代の金価格を読み解く上での全てが詰まっていると言っても過言ではありません。熱狂的な上昇と、その後の劇的な暴落を見ていきましょう。
金価格の暴落の歴史を語る上で、1980年のジェットコースター相場は避けて通れません。なぜ価格は熱狂的に高騰し、そしてなぜこれほどまでに劇的に暴落したのでしょうか。
1970年代:熱狂の時代 – 金価格はなぜ850ドルまで急騰したのか
背景1:高インフレとドルへの不信
1971年のニクソン・ショック以降、金という重しを失ったドルは、特に2度のオイルショックを経て、激しいインフレに見舞われました。人々は紙幣の価値が日に日に目減りしていく恐怖から、実物資産である金へと資金を避難させました。
背景2:ソ連のアフガニスタン侵攻とイラン革命(有事の金)
1979年末にはソ連のアフガニスタン侵攻、そしてイラン革命と米大使館人質事件といった地政学リスクが立て続けに発生します。冷戦の緊張と中東の不安定化は「有事の金」としての需要を極限まで高め、金価格の上昇をさらに加速させました(出典: seekingalpha.com)。
1980年1月:ピークとその後の急落
こうした背景から、金価格は投機的な資金も巻き込みながら急騰。1980年1月21日には、ついに1オンスあたり850ドルという、当時の史上最高値を記録します(出典: clevelandfed.org)。
最高値更新の熱狂と、その裏で進んでいたこと
市場が熱狂に包まれる中、その裏側では暴落への足音が迫っていました。ピークを打った金価格は、その後わずか数ヶ月で半値近くまで急落し、長い冬の時代へと突入していくのです。
【1980年ピーク時の状況まとめ】
- 背景: 高インフレ、ドルへの不信、深刻な地政学リスクが重なる。
- 市場心理: 「有事の金」需要が投機的資金を呼び、熱狂的なバブル相場を形成。
- 結果: 1980年1月に850ドルの歴史的最高値を記録。
1970年代後半の市場の雰囲気は、まさに「金こそが唯一の信じられる資産だ」という熱狂に包まれていたようです。しかし、多くの投資家が熱狂している時こそ、相場の転換点が近いというのは、この歴史からも学べる教訓かもしれません。
暴落の引き金:「ボルカー・ショック」とは何か?
でも、有事だったなら金は上がり続けるはずじゃ…?なぜ暴落したんですか?
それこそが最大のポイントです。その「有事の買い」を吹き飛ばすほどの、もっと強力な力が市場に働いたからです。
それが「ボルカー・ショック」と呼ばれる、FRBによる伝説的な金融引き締めでした。
1980年の金価格の歴史的暴落を理解する上で、絶対に欠かせないのが「ボルカー・ショック」です。これは、インフレを退治するためにアメリカの中央銀行(FRB)が取った、前代未聞の金融引き締め政策でした。
ポール・ボルカーFRB議長の登場とインフレ退治
1979年、高インフレに苦しむアメリカ経済の立て直しを託され、FRB議長に就任したのがポール・ボルカーです。彼は「インフレの期待を人々の心から根絶やしにする」という固い決意のもと、強力な金融引き締め策を断行します(出典: aier.org)。
政策金利20%!超高金利政策が金価格に与えた衝撃
【用語解説】ボルカー・ショック
1979〜80年にFRB議長ポール・ボルカーが実施した、インフレ退治を目的とする急激な金融引き締め。フェデラルファンド金利を一時20%近くまで引き上げ、深刻な景気後退を伴いながら物価を抑え込んだ (出典: pinnacledigest.com)。
ボルカー議長は、政策金利であるフェデラルファンド金利を、1981年には一時20%という驚異的な水準にまで引き上げました。
なぜ高金利が金の価格を下げるのか?(機会費用の増大)
この超高金利政策は、金価格に致命的な打撃を与えます。
金は、それ自体が利息や配当を生むことはありません。金利が20%もあれば、人々はリスクを冒して金を保有するよりも、銀行預金や国債といった安全な資産で高い利回りを得ることを選びます。
つまり、金を保有することで失われる利益(機会費用)が極端に大きくなったため、投資家は一斉に金を売り、高金利のドル資産へと資金を移動させたのです。
チャートで見る「実質金利の急上昇」と金価格の反転
ボルカー・ショックにより、それまでマイナス圏にあった実質金利は急激にプラスに転じ、上昇しました。この実質金利の急上昇こそが、1980年の金価格の天井と、その後の長期的な暴落の決定的な引き金となったのです(出典: goldpriceforecast.com)。
【ボルカー・ショックと金価格暴落のまとめ】
- 目的: 制御不能な高インフレを退治するため。
- 手段: 政策金利を一時20%まで引き上げる超金融引き締め。
- 金への影響: 実質金利が急上昇し、無利息資産である金の魅力が喪失。価格暴落の直接的な原因となった。
インフレと有事の買いで熱狂していた金市場が、中央銀行の「インフレを絶対に抑え込む」という断固たる意志の前に、いかに脆く崩れ去ったか。このボルカー・ショックの歴史は、金融政策の力をまざまざと見せつけていると感じます。
1990年代の長期低迷と、相場の転換点「ワシントン協定」
1980年に暴落した後、金価格はすぐには回復しなかったんですか?
はい、それどころか、1990年代は金にとって「冬の時代」でした。中央銀行までもが金を売り始め、市場は悲観論に支配されていたんです。しかし、その流れを変える大きな転換点がありました。
1980年の暴落後、金価格は長い低迷期に入ります。特に1990年代は、中央銀行による金の売却が相次ぎ、金市場の重荷となっていました。この流れを反転させたのが、1999年に締結された「ワシントン協定」です。
金は死んだ?中央銀行が金を売り続けた1990年代
1990年代、ソ連の崩壊と冷戦の終結により、金の「有事の資産」としての役割は薄れたと見なされていました。また、インフレも落ち着き、ITバブルに沸く株式市場の影で、金は「利息を生まない時代遅れの資産」と見なされがちでした。
この時期、オランダ、ベルギー、カナダ、オーストラリア、そして英国など、多くの国の中央銀行が、保有する金を市場で売却。この公式セクターからの継続的な売り圧力が、金価格の上値を重くしていました(出典: scienpress.com)。
底入れの合図:「ワシントン協定」が市場にもたらした安心感
こうした状況に歯止めをかけたのが、1999年9月に締結された「ワシントン協定(CBGA)」です。
【用語解説】ワシントン協定(Central Bank Gold Agreement, CBGA)
1999年に欧州中銀など15行が締結した、金売却を自主的に制限する協定。5年間で合計2,000トン・年400トンを上限とし、金が依然重要な準備資産であることを確認しながら、無秩序な売却による市場混乱を防ぐ目的があった (出典: goldpriceforecast.com)。
ワシントン協定(CBGA)の具体的な内容とは?
この協定のポイントは以下の通りです。
- 金売却に上限を設定: 協定に参加した15の中央銀行は、今後5年間の金売却量を合計2,000トン(年平均400トン)に制限することに合意。
- 金は重要な準備資産と再確認: 協定の声明で「金は、国際通貨準備の重要な要素として、その地位を維持する」と明記。
なぜ中央銀行の売却制限が、価格の反転につながったのか
ワシントン協定は、市場に2つの重要なメッセージを送りました。
第一に、「中央銀行による無秩序な金売却はこれ以上続かない」という安心感です。売却量の上限が明確になったことで、市場の不透明感が払拭されました。
第二に、「主要国の中央銀行は、依然として金を重要な資産と見なしている」という信認です。これにより、「金は死んだ資産」という悲観論が後退し、金価格は1999年の250ドル台を大底に、長期的な上昇トレンドへと転換するきっかけとなったのです(出典: gold.org)。
【ワシントン協定のポイント】
- 背景: 1990年代の中央銀行による断続的な金売却と、それに伴う価格低迷。
- 内容: 金売却量に上限を設定し、金が重要な準備資産であることを再確認。
- 市場への影響: 市場の安心感と信認を回復させ、金価格の底入れとトレンド転換のきっかけとなった。
市場が一方的な悲観論に支配されている時に、主要プレーヤーである中央銀行が協調して「ルール」を明確にしたことで、市場の空気が一変したという事実は非常に興味深いです。
これは、個々の経済指標だけでなく、市場参加者の心理や行動を規定する「制度」の変化がいかに重要かを示していると思います。
2000年代以降の上昇トレンド転換と、新たなリスク
ワシントン協定で底を打った後、金はずっと上がり続けたんですか?
いいえ、2000年代は確かに力強い上昇トレンドでしたが、そこでも新たなリスクと調整局面がありました。特に2011年のピークとその後の下落は、1980年とはまた違う教訓を残しています。
ワシントン協定をきっかけに底を打った金価格は、2000年代に入ると新たな上昇トレンドを形成します。しかし、その道のりも平坦ではありませんでした。
2000年代:ITバブル崩壊と金融緩和による金価格の復活
2000年代初頭のITバブル崩壊や、2001年のアメリカ同時多発テロ事件、その後の金融緩和と低金利政策は、再び金への注目を高めました。
特に、金ETF(上場投資信託)の登場は、個人投資家が株式と同じように手軽に金に投資する道を拓き、金市場への資金流入を加速させました。
2011年ピークからの調整局面:ギリシャ危機と量的緩和縮小
2008年のリーマンショック後の大規模な金融緩和(QE)を背景に、金価格は2011年9月に1オンス約1,921ドルという当時の史上最高値を付けます。
しかし、その後、ギリシャなどに端を発する欧州債務危機が一段落し、FRBが量的緩和の縮小(テーパリング)を示唆すると、市場のムードは一変。金価格は反転下落し、2015年12月の底値まで約45%の下落を経験しました(出典: auronum.co.uk)。
暴落の歴史から学ぶ、金価格を動かす複数要因の重要性
1980年と2011年の二つの大きなピークとその後の下落は、私たちに重要な教訓を与えてくれます。
- 1980年の暴落: 「高インフレ+有事」という追い風も、「超高金利」という逆風には勝てなかった。
- 2011年の調整: 「金融緩和」という追い風も、その「終わり」が意識されると逆風に変わった。
このように、金価格は単一の要因で動くのではなく、「実質金利」「金融政策」「地政学リスク」「市場心理」といった複数の要因が複雑に絡み合って決定されるのです。
【2000年代以降の動向まとめ】
- 上昇要因: ITバブル崩壊、金融緩和、金ETFの登場。
- 2011年のピーク: リーマンショック後の大規模な金融緩和が背景。
- その後の調整: 量的緩和の縮小観測が引き金となり、約45%の下落。
1980年の暴落と2011年からの調整を比較すると、金利の「絶対水準」だけでなく、その「変化の方向性(金融緩和の開始か、終了か)」が市場心理に大きな影響を与えることがよく分かります。これは、将来の投資戦略を立てる上で非常に重要な視点だと感じました。
金価格の暴落に関するよくある質問(FAQ)
- Q1: 1980年に金価格が暴落した最大の理由は何ですか?
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A1: FRBによる急激な利上げ(ボルカー・ショック)で、実質金利が急上昇したことが最大の理由です。これにより、利息を生まない金の魅力が薄れ、価格が暴落しました。
- Q2: 「有事の金」なのに、なぜソ連のアフガニスタン侵攻時に暴落したのですか?
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A2: 侵攻直後は「有事の買い」で価格が急騰しましたが、その後のボルカー・ショックによる超高金利が、地政学リスクによる買い需要をはるかに上回る売り圧力を生んだためです。
- Q3: ワシントン協定とは、簡単に言うと何ですか?
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A3: 1990年代に金を売り続けていた欧州の中央銀行が、「これからは売却ペースを落とします」と市場に約束した取り決めのことです。これにより、市場参加者に安心感が広がり、金価格の底入れにつながりました。
- Q4: 歴史上、金価格が最も大きく下落したのは何パーセントくらいですか?
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A4: 1980年のピークから1999年の底までの長期的な下落局面では、実質価格ベースで約86%もの下落(ドローダウン)を記録したという分析があります。短期的な暴落でも50%を超える下落を複数回経験しています。
- Q5: 過去の暴落を見ると、金投資は危険なのではないですか?
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A5: 金は価格変動リスクがある資産です。しかし、株式など他の資産が暴落する局面で価値を保つ傾向もあり、長期的な資産保全やインフレヘッジの手段として、ポートフォリオの一部に加える有効性は多くの専門家が認めるところです。重要なのは、リスクを理解し、高値で一括投資しないなどの対策をとることです。
- Q6: 次の金価格の暴落はいつ来ますか?
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A6: 未来の価格を正確に予測することは誰にもできません。しかし、この記事で解説したように、過去の暴落は「急激な金融引き締め(実質金利の上昇)」や「市場の過熱感」が引き金となるケースが多く見られます。これらの先行指標を注視することが、リスク管理の第一歩となります。
まとめ:金価格暴落の歴史から学ぶ、長期投資の心構え
金の暴落の歴史、よくわかりました。なんだか怖くなってきたけど、結局どう考えればいいんでしょうか?
歴史から学ぶ一番の目的は、未来を正確に予測することではなく、何が起きても冷静に対処できる「自分なりの物差し」を持つことです。暴落の歴史は、そのための最高の教科書なんですよ。
この記事では、金価格が過去に経験した主要な暴落の歴史、特に1980年の大暴落とその後の市場の転換点について詳しく解説してきました。最後に、これらの歴史的教訓から、私たちが金投資と向き合う上で持つべき心構えを3つのポイントにまとめます。
【総復習】金価格暴落の歴史における重要ポイント
- 1980年の暴落
- 「有事の買い」だけでは金価格は決まらない。
- FRBの金融引き締め(ボルカー・ショック)による超高金利が暴落の最大の引き金となった。
- 1990年代の低迷と底入れ
- 中央銀行の断続的な売りが価格を押し下げた。
- ワシントン協定による売却制限が、市場心理を改善させ、底入れのきっかけとなった。
- 暴落からの教訓
- 金は「安全資産」だが、無リスクではない。歴史的に50%近い価格下落も起きている。
- 高値掴みした場合、価格が回復するまでに数十年単位の時間がかかる可能性も認識すべき。
暴落を恐れすぎないための3つの心構え
1. 金融政策(特に実質金利)の動向を常に確認する
「有事だから」という理由だけで金に飛びつくのは危険です。それ以上に、FRBなど主要中央銀行の金融政策、特に実質金利が上昇傾向にあるのか、下降傾向にあるのかを常に確認する癖をつけましょう。
2. 時間を分散して、高値掴みのリスクを低減する
歴史が示す通り、最も避けるべきは「熱狂のピーク」で一括投資してしまうことです。毎月一定額を積み立てるなど、購入時期を分散させることで、高値掴みのリスクを大きく低減させることができます。
3. ポートフォリオの一部としての「保険」と割り切る
金の最大の価値は、短期的な値上がり益ではなく、インフレや金融システムの危機に対する「保険」としての役割です。ポートフォリオの一部として長期的に保有することを基本とし、日々の価格変動に一喜一憂しない冷静な視点が重要です。




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